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子供の発達障害に思うこと(障害受容から5年ぐらい経過)

うちの子ら、小学生娘(支援級)&小学生息子(通常級)は2人とも発達障害と診断されてます。
きょうだいでも、程度や症状が子供によって、かなり別物というぐらい違います。

今は適応力などもついてきて子どもたちの困り感も以前ほど酷くないところも増えてきましたが、乳幼児期は親子ともども辛いことも多かったので、当時の辛い気持ちの成仏も兼ねて、今回はそんな我が子の障害受容に関するあれこれを、ちょっと吐露してみようかなと思います。

親としての所感

親も多分そうだった

そもそも、診断は受けてはいないけど、親も多分発達障害のケがあります。
これまで、発達障害の子をお持ちの親御さんのブログやTweetなどを情報収集を兼ねて沢山追ってきていますが、そのほとんどが「親(片方または両方)も、その傾向がある」という自覚がある方が沢山いることに驚きました。確かに、うちも我が夫婦ともに思いあたりがありました。

夫の小さい頃のエピソードを義実家で聞くと、第一子と全く同じなADHDっ気が強い典型的な多動児だったようです。かなりの危険行動が多く、手がかかって手がかかってとにかく大変だったとのこと。今でも、忘れ物なくしものも多く、いつもカギどこいった・スマホどこいった~って騒いでいる気がしています。

一方で私は小さい頃から、こだわりが強く、未知のものに対する不安も強く、対人・コミュニケーション面も非常に自分本位でした。思春期頃からの女子特有のなあなあとか匂わせ会話・察し会話・ガールズトークが苦手のため、自分の思ったことをそのまま言ったつもりが場を凍らせることも多々。やるとなったら過集中で何かに寝食も忘れる勢いで真剣に取り組んでしまいあとでヘロヘロに疲れ果てるなんてこともしょっちゅう…。自閉スペクトラム(アスペルガー気質)の第二子と、すごく性質が似ています。

※Kindleで買って読みましたが、ああまさに私だなこれ…とむちゃくちゃ共感した本…?↓一般的に「アスペ」などと揶揄されるような男性のアスペルガーの特性に比べると、女性のアスペルガーは性差の脳構造により「男性よりは多少は空気読める」面もあったりして、ちょっと困り感が違うんだそう。

さらに家系をさかのぼると、夫も自分の父親は同じ性質(ADHD)かも…と言っているし、私も父と父方祖母が同じ性質(アスペルガー気質)だな…と思っていて、親の親の親も…とどんどん性質はどっかから遺伝している可能性を感じています。

発達障害を受け入れるまでの抵抗はほとんど無し

親である自分達も発達障害のケがあるなということがうすうす感じられることは、子供の発達障害を受け入れるのには納得材料となりました。

でもそれより一番、障害を受容しやすかった理由としては、はじめての子供を持ったその一発目、1人目の子供が赤ちゃんの時から物凄く手がかかっていて、なんかこれおかしいぞ。っていう気持ちは最初っからずっとあったからなんですよね。

結果としてその親の勘はまさしく当たっていたわけですが、実際に育ててみてて、どえらい大変だ!なんなんだこれは!まわりの一般的な同月齢・同年齢の子達とは全然違う!育児書とも違う!っていう経験があったからこそ、のちに発達障害を疑ったり診断がくだったりも、「ですよねー…」と抵抗なく受け入れることができました。

知識の有無も大きいかもしれません。
今はインターネットで簡単に調べられますし、当事者やその親御さんのご意見も簡単に読める時代ですので…。「まさしくうちと同じだ…」という方が沢山いて、より理解や納得が得られた気がしています。

発達障害の子供の、子育ての難点

障害児の子育ては、親を追い詰めるものがあった

産後うつと呼ぶのか育児ノイローゼと呼ぶのかその辺はよくわかりませんが、この10年の間で親として何度も心身の危機は訪れていたように思います。ずっと大変だったけど、子供も成長するので、その成長ステージごとに大変だったフェーズが何度も変化を遂げました。

■よく泣き・要求が激しく、育児書通りにいかない赤ちゃん時期(1人目の娘)にはじめての子育てでぶち当たって悩んだり。四六時中泣く赤ちゃんに右往左往。

■多動による危険行動が激しかった時期(1人目の娘)で、「自ら死にに行く」ってぐらい危険行動が多く、緊張感に包まれた生活をしていくストレスだったり。遠方の実母などが手伝いに来たり・帰省したりした時は、その緊張の糸が緩んでヘナヘナヘナ〜っと脱力感がやばかったほど!

■子供を連れて気晴らししたり一緒に楽しい体験をすることが困難(1人目&2人目)なストレスだったり。(どこ行ってもなにしてもちょっとしたことをきっかけに泣きわめき、おさまりつかないため…)

■集団生活の困難さが顕著に現れた時期(1人目&2人目)に、周りから子供たちの困り感はしつけが悪いからだと責められ心外な想いをし、糸口を見つけようと親は先生との連携やデイ、相談・面談・1日4冊も書く連絡帳地獄〜と支援得るために奔走する日々へ。

■就学に関する悩み(1人目&2人目)で、進学手続きや学区の支援級のなかった学校へ、新たに支援級開級してもらうよう体力精神力を削って、ようやっと環境を整えられたり…。

■反抗期に関する悩み(2人目)で普通の反抗期とはなんだか違うぞっていう、その特性からのこだわりの強固さから、1日中押し問答が続いて何事もすんなりいかず…育児ノイローゼになってしまったり。

と、これらの期間の特性の激しかった要所要所で、都度精神的にすり減りました。

きょうだいで二人同時進行で大変なことが並走することもあったり、一人で奮闘していた家事や仕事両立との負担も相まって、ストレス値が振り切れすぎていて、ところどころ、記憶がぶっ飛んだりしています。

追い詰められたあまり、子供に手をあげてしまったこともあるし、私もこの辛い現実を終わらせるには…と希死念慮に襲われたことも何度もありました。

何度か限界が訪れた際は、子供を虐待しないために子供を施設に預けることも考えましたし、自分が潰れてふっと自死してしまわないために夫に子供達を託して私一人で実家に戻って静養しようと考えたこともありました。「親としてどうなの!」という批判はあるでしょうが。

どっちも現実的に実行するのは難しく、家族から大反対され、実現はせずだましだまし来ましたが…それでもそのような悪いことが起きなかったのは単に運が良かっただけだと思っています。堰を切ったように、耐えられない想いが溢れてしまっていたら、超えてはいけないラインを超えていたことでしょう。ニュースでよく、追い詰められてしまった親が、子供を殺してしまったり無理心中をしてしまったりという登場するけれど、あれは一歩間違えたら自分の姿だったかもしれないので「考えられない・ありえないこと」とは思えません。

しんどかった子育ても、どうやって乗り切ってきたか

以前たまたまNHKで「障害児の子育てに虐待が多い」「親もうつや自殺等考えるケースも起こりうる」のような番組が特集されていたのを拝見しました。障害児の子育ての難易度の高さとその親のあり方を取材した番組でした。

↑こちらの番組を見て、途中で出てきたお母さん(発達障害のあるゆうた君(7)の母親のゆうこさんというかた)の、発達障害の子育てでの苦しみを吐露する場面に、わかりみが強すぎて、ティッシュ片手にとめどなく泣いてしまいました。やはり、難しい子育てに直面すると、親も同じような苦しみを感じてもがくんだなということを、改めて知る事ができた番組でした。

この母親ゆうこさんは、子供の療育の場で親同士悩みを話し合える場があったんだそうで、親のメンタルケアもある手厚い支援がある場所に繋がれたため、状況が改善したとのことでした。それでも、時々辛くてたまらなくなり、助けを求める連絡先がありそこへ連絡して何とか気持ちを落ち着かせたりと、日々崖っぷちで生きている状況のようです。

上記のようにサポートがあるというのは大変に心強いと思います。産後や育児中どれだけ辛くても、親へ強制介入してくれるような専門家によるメンタルサポート・カウンセリングはほぼないわけで。となると自分がアクションを起こすしかないわけですが、“追い詰められ思考能力もまともではないと思われる本人にとって適切な支援を求めるアクションを、手のかかる子供を抱えて果たして起こせるのか”という話で、その壁の高さは私も何度も感じてきました。児童相談所、精神科等いろいろもちろん考えたり電話したりもしてきています。しかし繋がれた支援は、子供のための支援ばかり。なかなか私自身のケアまで繋がれず。

番組曰く、子どもを救うには親を救わないといけないとのことですが、私もずっと救われずに一人で奔走してきてて、うおおおおおーーん!辛かった!誰もわかってくれなかった!夫へさえも何度ももう無理タスケテ~~!って泣きついては「俺だって忙しい自分ひとりで解決せよ」と振りほどかれ家族でさえ寄り添ってはくれなかった!でも虐待せずやってこれた!奇跡すぎだろ!っていう感じなのです。?

結局、どうやって乗り切ってきたかですが、乗り切ってはきていないのかもしれません。積もり積もったものは、いろんな形で悪習慣やその苦しみを新たに生んでいました。

苦しみは膿となっていってさらに自分で自分の首をしめましたが、膿を出し切る出来事が徐々に出てきたり、子供の成長で緩和していく面もありつつ、時間が少しずつ解決してきた部分も大きいです。

また、精神的な支えとしては、定期的にしんどい時遠方の実母にワンワン泣きながら電話したりして愚痴ったりしました。いい年して恥ずかしいことかもしれませんが、母に共感をしてもらうことで私にとっては大きな支えとなりました。
同様に、共感や励ましという点では、インターネットの存在も大きかったですね。当時のこのブログやツイッターで愚痴を吐いたり、共感しあったり、インターネットを通じて他の人が自分と似たような子育ての悩みがあるのを目撃したりで、「自分だけじゃない」と励まされることが沢山あったと思います。(ありがとうございました…??)

発達障害に関する支援のモヤッとポイント

発達障害の子育ての難点として、親として気づいた悩みを列挙します。

  • まず、いざ我が子が発達障害と知っても、何をどうすれば良いのか何もわからない荒野に放り出される
  • 知識や支援を得るにも、自分で調べ、自分の足を使ってあらゆる人に会い、相談し、はじめて得られる情報や支援が多い(福祉情報は表にバーン!とわかりやすく出てこない)
  • 発達障害の子の、支援をも受けた先の、その後の人生の見えなさ(何がゴール?何が正解?)
  • 年代やステージとともにコロコロ変わる(終わる)、一貫性のない行政等の支援の管轄(幼児期と学童期で支援管轄が変わる、など…)
  • 地域差が激しい発達障害支援・福祉
  • 前述の通り、親本人へのメンタルケアが少ない
  • 発達障害の子の親も発達障害のケがあって困り感強いことが多いが、その親も一緒に頑張ることが多すぎる。

以上がモヤっとポイントです。

結局はすべて親自身が考え、行動し、支援のレールを敷いていくことがかなり重要という現状だと思います。それはとても責任重大で、それを一歩間違えたらその特性もあいまって脱線事故になるんでは…という不安も強いです。

子供たちの「発達障害」の捉え方

発達障害についての告知

子供達について、障害告知は済んでいます。
学童期にあがってから、自然にそうなっていきました。
今はNHKでもお子さんの発達障害の特集とかいっぱいやってますし、それ偶然見ては子供も「自分みたいだ…。」「僕・私って発達障害なの?」と察するわけです。

親の認識としては、「発達障害=今やもう特別ということではない」「優劣ではない」という風な位置づけではいます。
言い方を変えると「色んな人がいる」「人はみな違う」っていうことです。
これは、支援級やデイサービスに来ている他のいろんな障害児(発達障害だけではありません。)の存在もあるため、子どもたちもなんとなく肌で察しているようです。その子達も、それぞれ困り感があって、全く同じというわけではなく、本当に人それぞれだからなんですよね。子供達のほうがそういう身体や精神・発達にいろいろな障害のある子供達の本質をよく理解していますし、みんなの良いところも一緒に過ごしている見ているので、「障害があるから…」と卑下や見下しのような差別意識も特に抱いてません。

うちの子供達も「自分は落ち着くのが苦手」「すぐ物をなくしてしまう」だとか「自分は関わりが苦手」「イライラしたら手が出ちゃう」「切り替えが出来ない」だとか、その特性単位でそれぞれの苦手なことを理解していますし、きちんと冷静に自覚させるようにはしています。それらと上手に付き合えるようにしていくんだよ〜という説明では、何となく納得してもらえています。

親も、特性のあるところは必要以上に叱ったり責めたりしないけど、でも発達障害であることを、自分が努力や反省をしない方便にするなとはよく説明しています。

発達障害の子供の将来

結局のところは、ゴールは「自立」

子供のうちは様々な支援を受けられるけど、それらを受けて将来どうなるかといったら結局のところは「自立」がゴールなのですよね。
今は手厚い支援も年齢を重ねて成人になったらいつかは途切れる一貫性のないものですし、支援のあるうちに&親と一緒に住んでいるうちに、身につけるものがたくさんあるんだろうなというのは、我が家では肌で感じています。

●自立(仕事などの経済活動+炊事洗濯などの生活能力を身につける)
●人間関係の折り合いの付け方(パートナー・結婚相手などと、密な人間関係を作る)
●自己肯定感の維持(二次障害として、鬱や自殺等の道を歩まないよう)

上記も発達障害としては全部苦手である部分が多いため、とっても心配ですが、将来の上記のポイントを頭に入れて、家庭でもサポートしていってるところです。

進路問題は特に将来につながる点で頭を悩ます問題ですが、それはまた追って別の記事にて…。

あとがき

発達障害とか子育てって正解がなくて「こうしたらどうなった」などのその成功例やノウハウがなかなか無かったり、環境や年齢が変わると状況が大きく変わることが多かったり、これをしたらひと安心。といったものがなくずーっと悩みがつきないものだと思います。

親としてもこれからもいろんなことひっくるめでまだまだしんどいこともあるのかもしれないと思っていますが、ただ、一番最初の初段階(=育児大変すぎ…で障害疑い→障害発覚・受容→学童期で支援つなぐ)の迷いのトンネルからは抜けてきた感はあります。

前述のNHK番組のことでも触れましたが、

「子どもを救うには親を救わないといけない」

↑これがまさしくそうなんですよね。

親がストレスを抱えていたりガス抜き出来ていなかったり救われていないと、子供ももれなく不幸になるということを我が家も何度もそういった危機があり実感しました。

なので、どうにか親自身が自分を大事にし、自分のゴキゲンをしっかり取っていって、なるべくゴキゲンな状態で子供に向き合っていくことの重要性をひしひしと感じております!

一人になる時間を持ったり、好きなものを思い切って買ったり、夜中にアイス食べたり(笑)、好きなことに没頭したり、親も楽しいことをしないと枯れちゃいますよ。

学童期に入っちゃったら意外と子供自身も「親なんだから~」「~すべき」って早くも世間の価値観に染まって親を生意気に責めてくることもあるんですけど、「親だから」って我慢すべきことも確かにモチロンあるけど、我慢しなくていいことや聖人君子でなくでもいいことも結構あるわけです。

そんなこんなで、私は他人や子供に何と言われようと、「自分のゴキゲンをとってく時間」は絶対に軽視しないようにして、セルフケアを入念にすることにしてる現在なのでした。☺

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6月6日6時うまれ。ちっちゃい子から大きい子までいる、こども3人の普通のお母さん(に擬態した変人)。コロナの数年前ぐらいから、この世が箱庭で予定調和であることにだんたん勘づいてきました。
仕事はエンジニア寄りのWebデザイナーです。
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