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今年の私的な振り返り。ヘンな群集見て我がフリ直そ…な自分の「心」と向き合う1年

もう年末〜
今年も相変わらず早い。

子育てや家のことしていたら残りの1日のうちに他にやれることって案外少ないものだし、うかうかしてたらあっという間に時間は過ぎてしまうな。いやほんとほんと。年々そう感じる。💦

年内の仕事や家族のことがまだまだ落ち着いてはいないけれど、早いけど私的な2021年のまとめを脳内整理のため棚卸し_φ(・_・
スッキリして来年を迎えたい♫

2021年の振り返り

はまったこと・取り組んだこと

・家庭菜園(2年目)
・食の安全(できる範囲の無添加、オーガニック)
・世の中の勉強
・本読み
などなど

→2021年は2020年に続き、末子が幼少期(反抗期)で大変な時期であることや、娘の進学(中学)と環境変化、親のお世話や死…で、落ち着くまでワチャワチャしっぱなしで、夜は疲れてバタンQがほとんどだった。

あんまり自分ひとりの自由時間を使う暇がなかったけど、スキマ時間や寝かしつけなどの間に、本読んだり動画見たりで世の中の勉強をせっせと進め、歴史から哲学まで、本当に色んなジャンルを学ぶのがささやかな楽しみだったな~。

リテラシーが低かったこと(例えば金融リテラシーとか)も、かなり知識レベルがあがった感あって面白く、外界の見え方が変わった。何歳になっても教養・謙虚な学びの姿勢って大事かも。

また、安全な食生活、ストレスを抱えない生活、ジャンクやお菓子やジュース等の不摂生せず、太陽によくあたりビタミンD生成、西洋薬(特に抗生物質)などをすぐ飲まない、コロナ禍で手指を過度に消毒しすぎない(常在菌を殺さない)、自然界の常在菌と善玉・悪玉のバランスを取って共生してく…などなど健康と自然免疫の向上に関しては相当気をつけていたので、家族みんな近年まれにみるほど不調が少なく健康だったのが有り難い☺

私は食と水の安全と健康問題については数年内に問題が露呈してくると想定しているので、家族の体に毒を入れないようこの1~2年で物凄く慎重になった。医食同源の考えで、真剣に心と体の健康と向き合うことについては、気をつけるようにしてきてる✨

↑書籍がKindleのベストセラーによくあがってたりするのでご存知の方も多いと思うけど、石黒Drの健康法が身近で実感もあって一番しっくりくる~。

やめたこと・興味を失くしたもの

・依存性のある習慣すべて
・不健康な食生活
・メディアデトックス=ニュースサイトやSNS習慣断ち
・映画や海外ドラマ視聴(物凄い好きだったけども)

→情報の在り方に疑問を思うことが増えたり、大衆意見と多数派に迎合しないと気まずい空気に「私は違うな。そう思わないな。」と思うことが増えたため、今年はTVやSNSやニュースサイト・ソーシャルブックマークサイトなどなどの「メディアデトックス」「情報断捨離」を実行する年に

情報はピンポイントでしか取らず、習慣を断ち切って約1年だけど、確かにスマホ手にした時に無意識にアプリ立ち上げネット巡回…みたいな時間もトータルするとものすごい浪費だったし、暗いニュースや嫌な情報見てモヤモヤする的な感情の疲弊、などの節約ができるようになった。

そこで気づいたのは、衝撃的なニュース+感情的な報道+感情的な誰かの意見…なんか見ちゃって朝から引っ張られてモヤモヤ・グッタリなんてことがよくあるでしょう。私も長年そういう発信で連鎖の1つを紡いでいたかもしれず、良くないなと思った。
また、SNSやニュース、ネット上の画像や故意的な印象を残すサムネイル1つ・他人のつぶやき1つを通して、なんとなく脳裏に「実態はよくわからんが○○のようなイメージ」と勝手に印象づけられてることって沢山ありまくる。こうやって自分が普段囲い込んで見た狭い情報から「偏見」「無知」が知らずのうちに形成されてたとも実感。

メディアデトックスにより、いかに普段何の気なしに見ている情報から思考と感情をコントロールされていたのか?と改めて気づいた。

「NHKは公平客観中立なんて、ウソつけって思う。」「ニュースはすべてフェイクだと思っているくらいが安全です。それで初めて自分の頭で考えることになるでしょう。」 -  養老孟司

引用:【ニュースを疑え】フェイクニュース「いい言葉流行った」養老孟司氏(1/6ページ) – 産経ニュース

映画や洋ドラも、趣味として大好きだったけど去年あたりから一気に冷めて視聴が激減した。
マイノリティが悪いとか駄目って否定したいんじゃないが、過剰な人権思想から「ポリコレ」「LGBTQ」「韓国」「性的コンテンツ」などの特定分野のゴリ押しが近年一気に増えたと感じ…。ポリコレに走るばかりに思想第一で、質が二の次となった低クオリティ作品が量産され視聴満足度が激減。

また、ショービズ界の宿命で、「シーズン1めっちゃ楽しい!」などと盛り上がったドラマ作品も、シーズン進むごとに予算・スタッフ・俳優などが離れて迷走し、最後打ち切りで伏線回収しきれずに駆け足でエンディングに向かう…などのあるあるすぎる展開とうっす~い低クオリティ作品が量産されている事も気になってた。
打ち切られて最後クソ展開で急にしぼんで消化不良で終わるドラマを見た時、「今まで見てきた時間はなんだったんやー!時間返して~💢」となるw

そんな感じで、「エンタメはエンタメ」と割り切って難しいこと考えずに表面だけ楽しんでた頃と違って、エンタメにも色んな背景や政治的意図や大衆誘導・マーケティングなどを感じ取れるようになってきてからは、テンションさがって興ざめ中。自分の趣味嗜好の変わり時なのかな~と思った。

↑メディアやエンターテイメントに関して感じる違和感、わかる。
すごく共感するビデオ(ラジオ形式)

今年の気づき・学び

俯瞰・自立を学ぶ

今年(2021年)は俯瞰・自立を学んだ1年だった。

色々世の中の勉強をし、探求して掘り下げていくうちに、いかに自分がこれまで、国単位とか上とか下とか右とか左とか大きいとか小さいとか、近視眼的な物の見方をしてきたのかということに気づいた。The・無知/偏見の塊。🤦‍♀️
もちろんほとんどの人が「世界や社会はこういうもんだ」との前提や定義を信じ切って生きているとはいえ、私もそうだったし、ピュアでウブすぎたのかもしれない。

そんな真理に気づき始めて衝撃を受けた人が最初に陥りがちな“私目覚めちゃった症候群”のような幼稚な初期段階ももちろん乗り越えw、色んな分野を貪るように学べば学ぶほど物事の底知れない奥深さが知らしめられ、「まだまだ自分はあらゆることに無知だった」と謙虚さを取り戻し、日々知識レベルのアップグレードと自分の「既存価値観の断捨離」を行うようになっていった。※現在進行系

誰もが小さい頃からされてきた社会的なプログラミングとも言える、家族という枠とか、学校教育という枠とか、社会人という枠などの「こうでないといけない」「こうあるべき」という前提・定義・思い込みやこだわり。常識と信じていたことや、当たり前と思ってきたこと。そこから私は30~40年も思考停止でいたけど。
それらに疑いの余地がかなりある事に気付いてからは、とりあえず一旦ぜ~んぶ捨ててみて、そして良いも悪いもない、正しいも間違っているもない、抗わない、ただそれが或るだけ、といった無常から物事を常に引いて見るように中庸を意識して、清濁併せ呑むのを心がけた。

親の死というものを体験する衝撃的な年ともなったけど、そんな心の変化からすぐ「受容」の段階に前進もでき、一つまた新たな生き方や見識が広まった感がある。

俯瞰力が増すと次第に、現実へののめり込み感が薄れ、いかに我々がアホな世界に住んでいるかわかるし、全ての喜怒哀楽・一喜一憂の人間ドラマ的な世界が冷めてきてアホらしくなり、トゥルーマン・ショー(映画)のように見えてくる。実はこの世界って作られた世界なんじゃない?みたいな感覚というか。

そういったこれまで自分が苦しいとか楽しいとか悲しいとかってドップリのめり込んできていた「没入型の感情体験」から意識して距離をおいてみたら、物事を強烈な肯定も否定もしなくなるので、憑き物が取れたかのように愚痴や不満・イライラ・怒るなどの感情的になることが減って、家族にも「穏やかだ」と言われた今年。😀

前述の通り、普段いかに外側から思考や感情をコントロールされてきてたかってのを思い知った。

そんなわけで今年は、何事もただただ「ほーん(無)」と高みから眺めるのみで傍観スタンスを意識した年だった。
人間だからそりゃ時々揺れることはあれど、すぐ戻れる位置取りとチューニングを意識。
身近な家族や社会がイライラ!ギスギス!とストレスを抱えがちな時ほど、その影響を受けず、それが役立った。

情報戦争時代の群集心理にますます私は合わなくなった…

これまでの昭和や平成は「これが正解ですよー」っていう1つの答えだけが際立っていて、その情報を受動的に受け取っているだけで無難に生きていける時代だった。
しかし今は多様化が進み、その正解が多数あってわかりにくい情報戦争時代で、特にコロナ以降情報の誘導や検閲も色濃くなり、AIなどで自分に最適化された情報しか受け取れないフィルタバブル現象で、みながエコーチェンバーに引きこもり、どんどん情報格差が広まっていった。
結果、「正解はこれだよー」と普段誰かに提示されることに慣れきっている多くの人間は、何を信じていいのやら迷子状態となった。

その結果として、これまでの時代のように世間の大きな喧伝や流れを鵜呑みに従うのが「社会的。善良。正しい。」と疑ってない人が世の中のほとんどとなり、そこが無難で正解であるとやはり錯覚し続けた。社会の空気読むのがうまかったり政府や偉い人やNHKとかを無意識に信用している人ほど、そして素直で善良であればあるほど皆、変な群集心理によりまるで戦時中のように、このコロナ禍の「こうすれば○○」「こうしないと××」「これが利他だ、思いやりだ、社会のためだーッ」的な飴と鞭トリックに一々まんまと嵌ってしまい、全体主義・同調圧力方向へグングン突き進む傾向にあるなーと傍から眺めていて思ってた。物事の解決よりも、「安心」という感情を求めているというか。


私は普段から大衆と意見が違う事が多いしその辺の空気が読めないのでそれは詭弁とわかったけど、大半はレミングの群れみたいに「これが正しいぞー」って誰かが言った方向へ大勢で「そうだそうだー!おー!」と盲目的にズンズン突き進んでいて、ある種の危うさを感じた。

なぜなら、多数派で形成されたこの世論に、「いやちょっと落ち着け」とツッコミでもしようものなら、トンデモ発言とレッテル貼られ大多数の圧で潰される状況になってたからだ。どれだけ冷静で根拠のある意見でも、“天動説信じている時代に地動説を唱える”ようなもんで、世間の猛烈な反感を買うガリレオ・ガリレイ化が進んでいた。
その辺の狂気の空気はさすがに察したためw、私は今年は口を堅く閉ざして本心を言わないことにしてた。
自分だけがかからない催眠術にみんなかかっているような気味の悪さと違和感に、ぐっとこらえた1年でもあったように思う。


↑パンデミックで世界中の人々が陥っている「心理状態の分析」をわかりやすくまとめてくれた動画。
私もリスクが未知だった最初の頃だけは、まんまと群集心理のステレオタイプにはまってたわ~😅

群集心理から“イチ抜けた~”際の「罪悪感」とも決別

群集心理から抜けて何でも傍観をするのはいいが、身の回りの大事な人達がもしリスクのある道に進んでしまったら、それを“知ってて見捨てる”ことにもなるので、そんなことまで放ったらかしで良いのだろうか?という罪悪感にはさすがに葛藤していた。
他の問題を直視せず盲目的に進んだ際に起こりうる“別のリスクの可能性”ぐらいは、自分の意見や主張の押し付けではなく「ただの忠告」として周囲に伝えてきた。
けど、「いや、こっち道が正しいんだ!!!」と目をキラキラ輝かせて他が全然見えずドドドドーッと突撃してる人には、やはり届くわけもなかった。虚無。

しかし、そういう妙な違和感を感じ取れるか・取れないかもセンスの問題でもあって、そこに思いも至らない事自体、実は本人の選択でもあるんだなと悟ってきた。
自分で腑に落ちる体験や段階は人によって異なるから、直感や情報から気づく人もいれば、失敗や痛みや体験を伴って気づく人もいるし、そこに優劣や良いも悪いもなく、正しいも間違ってるもない。
身近な人であればあるほど揺り起こしたくなるけど、それもまた余計なお世話。
寝ている人を無理に起こしても、機嫌が悪くなるのは当然のこと。
誰もが最終的には自分のタイミングと決断で腹落ちし、人生分岐を選んでいくのだから、例えそこにもし色んな誘導があったとて、社会のせいや他人のせいにはならない。もちろん私が背負う問題でもない。そういった究極の自己責任は私のほうにも勿論ある。

そんなわけで、罪悪感とも向き合い・決別して、他人の取捨選択も尊重して受容する方向へ最終的にたどり着いた。

まとめ

物理的制約で思うように動けなかった面も多々あった年だけど、その代わり「動」ではなく「静」の期間として自分のメンタリティを丁寧に整えていった年になったと思う。

いろんな取捨選択、物だったり古い価値観や執着だったりを捨てていくと、さらにさらに重たい鎧を脱ぎ捨てて身軽になってく。
それは、直視したくないことも直視したり、向き合いたくないこととも向き合うこととも言えるけど、手に入れたものは心の軽さと自由さだった。

そんな風に、今年は一喜一憂型の大衆心理(ユングの集合的無意識みたいなやつ)と距離を置き、メディアやエンタメに思考能力を奪われ頭パァに愚民化させられることも終わらせ、独自に一人コツコツ勉強しながら時代の行方を先読みし、可愛い子どもたちと平和な日々を暮らしながら、クレイジーな世の中をただただ観察。

そのおかげでノイズが減って、自分の人生の純度が増してきて、世界が砂漠でも自分の周りだけはオアシスみたいに見える年だったので、非常に良かったと思う。✨✨

この手の話、一般には賛否両論なのはわかってるんだけど~
私のように既存の価値観や群集心理から「イチ抜けよ~」と思いはじめた人達には道標になりたいなと思っているし、おいでおいでーって引っ張っていきたくて、そんな種まきとしてこの先もたまにブログ書いておこうかなって思ったりしてる。

何が言いたいかわかる人には「自分だけじゃないんだ」って安心できる内容になってくると思うので。
ニッチで深いところに刺さるだけでいいやって、来年からは完全にそっちの方向へ舵切る予定?

低頻度更新だけど、1つ1つを純度高く、また来年もつらづらと綴っていこうと思う。
では良いお年を~~~~!

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hnw
6月6日6時うまれ。ちっちゃい子から大きい子までいる、こども3人の普通のお母さん(に擬態した変人)。コロナの数年前ぐらいから、この世が箱庭で予定調和であることにだんたん勘づいてきました。
仕事はエンジニア寄りのWebデザイナーです。
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