前回、母がもう長くないと書いたけど・・・
先月息を引き取った。
亡くなった日も、なんだかドラマティックな流れだった。
よくあるのが夜中とか未明に亡くなってしまい、事後報告で病院から「息を引き取りました」と電話が来たりするパターンかなぁ…と思ってたんだけど…違った。
私と娘(孫)の面会の日に、亡くなる瞬間は見せず、でもわりと直ぐ近くにいる状態で、息を引き取った。
* * *
亡くなる1日前に、「そろそろ危ない」と病院から電話が来て、息を引き取る時の立ち会いは姉と父が向かう、ということにしていたのだけど(コロナルールで1日に親族2名しか会えないので長年連れ添った父に譲った)、まだ母は頑張っていて連絡がきたその日には亡くならず…。
また次の日に面会予約を入れ、姉に車を出してもらって翌日は私と娘(孫)で面会。
その時ももう下顎呼吸(亡くなる直前の兆候)でハーハー口をあけて呼吸している状態で、体も動かせないし、話も出来ないし、目もうつろで目玉も動かせず何も見えていない風な状態だったし、呼吸しているのがやっとの状態で、呼びかけにも反応はできていなかった母。
でもどれぐらい持つかは本人の生命力次第と言われていて、いつどうなるかは神のみぞ知る領域でわからなかった。
もう反応ができずとも“聴力は最後まで残る”っていう話なので、その面会で娘が言い出してやり始めた取り計らいで、LINEで他の孫達ともみな繋いで「おばあちゃん大好き!」等話しかける、ビデオチャットという文明の利器(笑)で、コロナ禍でも会えない人たちを登場させて声をきかせてあげることができた。
(※これ、看護師さんにも、こういう時代だから良いことよく思いついたね・偉いねって、娘が驚きとともに褒められてた😂)
コロナ禍なので“治療中”の人がいる癌病棟は面会謝絶で全く家族と会えないルールなんだけど、緩和ケア病棟は治療をやめた人=言い方悪いけどどっちみち近々亡くなる人ばかりなので、家族との面会が許可されているしくみ。
ただ、事前に登録した5名の人しか会えず(つまり5名なんて一番近い家族のみで埋まってしまうため、ほとんどの親戚は会えない💦)、そのうちの1日2名までしか会えず、さらに1回15分しか許されていなくて、行き来に利用するエレベーターとかも一般客(?)が通らない所を通るように専用に隔離されていて、しかもパーテーション区切りでしか会えないといった感じで、死にゆく人に触れることも、マッサージとかもしてあげれない規則だった。
だけど、もういよいよという看取りが近い状態だから、面会時看護師さんが、
「これ・・・(パーテーション)あるけど・・・
気にしないで手を握ったりしてもいいですので。
私達見なかったことにしますので。
ご家族と患者さんで、最後のときを一緒に過ごしてください。」
って、取り計らってくれた(T_T)
そして時間も、本来15分のところ1時間程会っていいって言ってくれた。
コロナ始まりたてのみんなが恐怖に怯えた頃は違ったかもしれないけど、1年以上たった今現場の人達は、コロナルールを死守するあまりに他の全てを踏みにじってまで、家族に指1本も触れさせずに追い返す!死んだ時だけこい!みたいな変な優先順位をつける気はさらさらない模様。
ただ、病院としてはクラスターとかだしたら問題になるから、世間の目や病院として対策してますよ感出すルールとの間とのせめぎあいで色々規則を設けているものの、その中での譲歩を色々してあげてなるべくご家族の気持ちに寄り添いたい…といった感じの様子だった。
つまり、もはや、癌で今にも死にそうな人とそれを看取る家族にとっては、コロナにかからないことが別に最優先じゃない。そういうのをちゃんと現場の人がわかってくれていて配慮されていて、人間としてのその人の人生とその人を囲む家族の尊厳を死守してくれていた。
そういった現場の、本音と建前、こんな世の中だからみなまでは表立っては言わないけれど、「特別に」といろいろ施してくれていたホスピタリティにはこれまでも有り難く思うことが他にも色々あったんだけど、最後も感謝の限りだった。🙏🙏🙏
そこで、触れることができて握った母の手は、死人のように冷たかった。
血圧がなくなり、指先まで血が通っていないため、まだ生きているのにものすごく冷たい。
チアノーゼを起こしていて色も死人のようだった。
近づいてはじめてわかった匂いも、死が近い、人間ではないような匂いがした。
これまでの面会一切触れられなかったので、よくよく見ると、肩も腕も骨だけになっていて…最後の入院時の写真を見たら、その頃も相当痩せていたけどまだふっくらしているように見えた程、さらに極限までガリガリに骸骨のように痩せていて。
これまでは規則で触れられず布団をまくったりするわけにもいかなかったし、触れてみないとわからない状態だった。
手を握って、お母さん大丈夫だよ、お父さんのこととか犬(母のペット)のこととか、大丈夫だよ、安心してねって一生懸命伝えた1時間。
そして亡くなった祖母(母の母)や祖父(母の父)などに、どうかどうか、お母さんを導いていってくださいってお願い🙏し、痛みや苦しみから解放され、光の粒に包まれ上にあがるイメージでお祈りを一生懸命していた。
たっぷり面会させてもらった後に、その日も母は面会中特に体調に進展がなく、時間が来たのでそろそろ帰ろう…と帰路につくところ。。。。
面会を終えて車で帰っている最中に「娘さん達が帰った直後、あれからすぐ10分ぐらいで危ない状態になっているので…申し訳ないのですがすぐ戻ってください!」と病院から車の中で連絡が来て、Uターンして、えー!!わーー!!!って急いで病院にドドドドーッ💨と漫画のように煙を立てて戻った時には、ほんの数分の差ですでに息を引き取った状態だった。
本当に祈った通りにすぐ天に上がってった。
あまりにスピーディな展開。💦
看護師さんは、「今日はお孫さん来てたから、亡くなる瞬間を見せたくなかったのかもね…」と言っていて、たしかにそうかもと…と。
姉がだいぶ前から「サバサバしたお母さんの性格的に、家族に囲まれて湿っぽい亡くなり方でなくて、見てないうちにサッと1人で亡くなるかもね」って言ってたけど見事に的中した。
病院の行き来の運転をしてくれてた姉と私の2名(=死後会えるのは2名までルール)で病室に入ったんだけど、ことが切れたばかりの直後の姿は、津波のように押し寄せる猛烈な悲しみがあるので、孫に見せなくて良かったと私も思った。
実際亡くなった姿は葬儀とかでは孫たちも皆見たけれど、湯灌されたり死に化粧されたりしてお人形のように綺麗に整った姿と違って、直前まで息をしていたのを面会で見ている状態でその後にその命が止まってしまった抜け殻の姿を見るのは、より「死」がリアルでつらい。
亡くなったあとに触った手はさらに一段と、死人の手になっていて。
ああ、とうとう逝ってしまった…という実感を伴う感触だった。
コロナなので人数制限があって最後まで面会で1度も会えなかった親族達も、会いたがってはいたけど会えなかったので「なんか亡くなったっていう実感わかないなぁ…」ってずっと言ってたし、最後まで刻々と変化していく姿を毎日パラパラアニメのように見てきた姉と私が一番、最後まで克明に強く、親の死までの流れをリアルに実感を持って見届ける形となった。シーズン1本ドラマを最初から最後まで見終えるように。(他の人は、コロナの関係もあって、ドラマを飛ばし飛ばしだったり、最終話しか見てないイメージ?)
まだ生きてる最後の時の面会で色々安心して、大丈夫だから。と必死に伝えたし、頑張って頑張ってそこで最後気が抜けたんだろうなと思う。
本当に会ったその日に、ある意味安心して(?)亡くなっていったんだなと思った。
だからやっぱり思っていた通り、全てが最善のエンディングで亡くなっていった母。
息を引き取ったあと、女性なので、死に化粧を看護師さんと色などを選びながらした。
看護師さんにも、「ご家族の方も、しっかり受けとめておられて、終始落ち着いていて素敵だった」と言われたし、髪を振り乱して遺体にしがみついてギャー!!!!お母さん逝かないでーー!!!と悲しみにパニクることもなかったから、母もオロオロどうしよう…と後ろ髪引かれず逝けたと思う。
本来は、病院から連絡が来たら、目の悪い父を最後の看取りにって準備してたけど、この日はさすがにどうしても間に合わず。でも、その代わりにたまたま私がその日面会に行ってたし、運転してくれた姉もいたわけで、ちょうど娘2名が母の亡骸を最初に見て、そしてその後始末(すぐ病室の膨大な荷物を片付けて引き払わないといけない)をテキパキ対応できたってことも、それは母が望んでいたことだったのかもしれない。病院離れてすぐだったので早く戻れたしね。
もう、色々と最後までスムーズだった。
全部が天命により取り計らわれているなと感じた。
コロナ禍といえども、ほぼほぼ満足な看取りができた。
なんか、すべて、納得した。
母も納得して亡くなっていったんだと思う。
葬儀屋さんに来てもらうまでの間、バタバタと姉が精算のこととかで別の階に職員の方に案内されており、私は1人待っていた緩和ケア病棟のデイルームでふと顔を見上げると、、、
弥勒菩薩がいた。
弥勒菩薩ってある意味イエス・キリストとも言われていなかったっけか?(マイトレーヤ=イエス・キリスト説)
弥勒菩薩は、仏教的には神と自然と人間や動植物が調和したとてつもなく素晴らしい世界(弥勒の世)が訪れたときのその未来仏とされていて。聖書のほうにも素晴らしい1000年王国が訪れる時にイエスが再臨するみたいな似た話あって共通してるしね。
なので、残された私達も、これからのより良い未来に向かって生きていけっていうメッセージかもなぁ…と思った。
人は何歳になっても「親の子供」であるというけど。
私にとって「親の子供」という段階を卒業するのは、成人の時でもなく、親元を巣立った年でもなく、「親の死」で、とうとう卒業を迎えたな~となんとなく思った。
生前沢山心配かけてきたように、母にあの世でも心配をかけるような情けない人生はもう二度と送らない!と心に誓ったし、葬儀のあとのことも膨大な手続きや片付けが細々したことを入れるとまだまだ山のようにあって、父が何も出来ないだけに姉と手分けしてこりゃ大変だなーーーって思ってやっているけど…そういうのも含めて、色々いい経験になっている。
とりあえず今は、携帯を肌見放さず持って病院からの着信がないか気にしていた日々や、母が亡くなるのを待つようで嫌だった感じから解放され…ずっとソワソワしていた嫌な感じが終わった。ある意味ホッとしている。
あとは、49日までのタスクに追われたり父の世話やらで何やらかんやらが普通に忙しい日々。
自分の家のこともあるし幼子もいるしで亀の歩みでしか進まず、ここしばらく予定が入れられず停滞してたことも沢山あったから、どれもこれもひゃー大変だーという感じで思うようにいかないけどw、生きてる人にとっては時間は無常にもどんどん過ぎゆくね。
がんばろう💪
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